2020/08/24

日常を楽しむ

冷蔵庫の扉を開け、食材をチェックしながら冷蔵庫の中にあるもので何が作れるのかを考えることが結構楽しかったりする。そして時々発掘される賞味期限を大幅に過ぎたモノたちとの出会いは、自分でも笑える。石のように固くなったチーズやら、どこで手に入れたのか?何に使うのかさえわからない横文字の調味料やらが出てくる …クンクン匂いを嗅いで確認し、大丈夫そうであれば自己責任の上で思い切って使う。廃棄される運命だったと思えば、なんの躊躇もなく料理に使えるし、もしかしたら美味しいものが作れるかも?という期待とともに。


日常の料理はなるべく美味しく腹を満たすためなので、レシピなどなく適当で簡単に、そして片付けが如何にラクチンかってのが大事だったりする。家で作れない美味しいものは外食するので毎日必ず作らなければ、という義務感なんてものはないのでそんなに大変と思うことはないが、これを毎日するとなるとメニュー考えるだけでも大変だと思う。たぶんメニューを考えるのって一番面倒くさくて大変なことだと思う。


料理って作って出すだけでなく、テーブルを片付けて洗い物して食器をもとの場所に戻すまで。なんなら冷蔵庫に残った食材を無駄にしないように適当に調理して保存容器に入れる …まで。そう、料理を作るって意外と頭を使って時間を掛けて作っても、食べるのはあっという間。だから、少人数分の料理は面倒だとかコストが掛かりすぎとか言われるのもわかるけど、自分の場合はキッチンに立って煮たり焼いたりの作業が嫌いではない、むしろ好きかも。

なので、なんで自分が料理しなければならんのか?なんて思いは一切ない。

意外な材料の組み合わせで作ってみたり、普段使わないスパイスを入れてみたりと理科の実験でもしているような気分で取り組めば、面倒臭いというよりも楽しいという気持ちになってくる。

”ものは考えよう” って言うけれど、本当にちょっと考え方を変えるだけで気分ちよく料理が出来る。




既に30年の男二人暮らし、料理は僕が作るのが我が家の日常。

相棒が洗い物をしてくれる時期もあったけど、今は洗い物も片付けも自分でやってしまう。

理由は、洗い終えた食器に洗い残しを見つけ再度食器を洗わなければいけない手間と、食器棚の中で定位置に戻っていない食器を正しい位置に戻す手間、そしてその度に相手に”あ~して欲しいこ~して欲しいって小言を言わなければならないことを考えれば、最初から全部自分でやったほうが早いしストレスも感じない。

(これに気付くまで結構時間が掛かった気がするが .. )



人には向き不向き、得手不得手があることを考えずに役割分担なんてことをしてしまうとその結果、また違ったストレスを感じることになってしまうのではないか?

そう思うと日々の細々したことも、そんなに面倒と思わずにこなせるようになる。

自分が料理をするから相手には××をしてもらうという考えではなく、それぞれ好きだったり得意なことをする方が、お互い気持ちよくいられるのではないだろうか。

どっちが大変かとか、どっちが疲れるとかを抜きで考えると上手くいくのかも。

ってことで今日も相棒は、キッチンで得意なカクテルを作ってくれている。






















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